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高卒新卒キャリア・成長HRコンサルティング部

目指すは高卒初の役員。広島支店を立ち上げた、入社10年目の営業マインドとは

営業職として高卒で入社し、現在はHRコンサルティング部の次長として大阪本社と岡山支店のマネジメントを担っている岡村さん。憧れのオフィスワークから始まったキャリアは、決して順風満帆ではありませんでした。受注ゼロの苦悩や、コロナ禍でのスランプをどう乗り越え、未開の地・広島での支店立ち上げを成功させたのか。高卒初の役員を目指して走り続ける岡村さんに、仕事への愛と「再現性」を生む営業の極意を語ってもらいました。

「東京で働きたい」が出発点。憧れから始まった、高卒入社のキャリア選択

――高校時代は、どのような毎日を過ごしていたのでしょうか。

大阪市内の普通科高校に通っていました。部活は当初サッカー部に入っていたんですが1年で辞めて、その後は帰宅部でした。

高校時代に力を入れていたのは、居酒屋でのアルバイトと、ずっと続けていたボクシングです。アルバイトは3年ほど続けていて、キッチンが中心でしたが、接客も少しやっていました。料理を作るのが好きだったのと、場所が大阪・難波の新喜劇の前で面白そうだったのもあって始めました。かなり働いていましたし、まかないもよく食べていましたね(笑)。

ボクシングは小学校3年生から高校3年生まで続けました。祖父が元選手で、父も好きだったので、その流れで始めました。最初は半分強制みたいなところもありましたが、やっているうちに楽しくなって、気づけば10年続けていました。

――その後、進学ではなく就職を選ばれています。迷いはなかったのでしょうか。

進学はまったく考えていませんでしたね。学校に行き続けたい気持ちもなかったですし、勉強もしたくなかった。早く働いてお金を稼ぎたい気持ちが強くて、就職一択でした。

もともとはプロボクサーを目指していたんですが、高校3年生のプロテストを受ける前くらいの時期に怪我をしてしまって、そこで区切りをつけました。不思議と、未練はあまりなかったです。社会人になってもできると思っていたので、気持ちはすぐ就職に切り替わりました。

――就職先はどんな条件で探していたんですか。

軸は3つでした。東京で働けること、営業職であること、そして首からパスカード(入館証)を下げてオフィスビルに入る働き方への憧れです(笑)。ドラマで見るような、ゲートを通って出社する仕事が純粋にかっこよく見えていたんですよね。「東京に行ったらモテそう」「営業は稼げそう」という率直な気持ちもありました(笑)。

その条件で求人を探して、ジンジブに出会いました。正直、応募した時点では会社の事業内容を深く理解していたわけではありませんでしたが、面接や職場見学で会った人たちの雰囲気がとても良くて、ここで働きたいと自然に思えました。

同期に支えられ、プライドをほどいた冬。受注ゼロの時期が教えてくれた営業の基礎

※画像はイメージです

――入社直後の、研修の時期について教えてください。

最初の2週間は企業理念について理解を深める研修があり、社長と直接話す機会もありました。その中で、会社が何のために事業をしているのかは少しずつ理解できたと思います。ただ、当時は「高卒求人媒体」と言われても、そもそも求人媒体が何なのかをよくイメージできておらず、本当にゼロからのスタートでした。

印象に残っているのは、その後の沖縄研修ですね。高卒同期3人と大卒の同期を合わせて7人ほどで参加。研修は昼から夕方までで、終わった後は高卒の3人でずっと遊んでいました。最初は同期同士で少しライバル意識もあり、牽制し合っていたような部分もありましたが、沖縄で朝から晩まで一緒に過ごしたことで一気に距離が縮まりました。同期以上の絆ができた感覚があります。

――その後、営業としてのスタートは順調だったのでしょうか。

初期のテレアポ研修まではかなりうまくいっていました。同期の中でも、アポの獲得数は一番多かったと思います。みんなが1日2件、3件くらいの中で、自分は8件くらい取れていました。電話をかけること自体も苦ではなく、むしろ楽しめていました。行動量をしっかりかけられていたのが大きかったと思います。営業に向いているという手応えも持てていました。

――一方で、現場に出てからは苦戦もあったと伸いました。

自分で商談に行くようになってから、状況が変わりました。アポは取れるのに受注につながらず、高卒同期2人が先に数字をつくっていく中、自分だけ初受注がかなり遅れて、12月までかかりました。

理由は、今振り返るとアポの質でした。高卒採用のニーズが薄い会社にも数を追ってアポを取ってしまっており、質の高い1件より、質の低い10件を積み上げていたんです。しかも、テレアポで結果が出ていた分、自分で何とかしたい気持ちが強く、先輩の力を借りるのが嫌でした。でも最後はそのプライドを捨て、先輩に同行してもらい、クロージングを見せてもらうことで、12月の初受注に至りました。悔しさは大きかったですが、同期が「ロープレ大会」を開いてくれたり、同行してくれたりして、1人では越えられなかった壁を越えられたと思っています。

「コロナだから仕方ない」で止まった成長。6年目に手に入れた、再現性のある営業

――入社6年目で大きな転機があったそうですね。

営業成績自体は、それまでにも出せていました。ただ、自分の中では「なぜうまくいったのか」を説明できていなかったんです。感覚で動いていた部分が大きくて、再現性がある状態ではありませんでした。そこに大きく向き合うことになったのが6年目です。ちょうどコロナ禍の時期で、当時は福岡に配属されていたんですが、全然数字が上がらなくなりました。新卒で入った若手のメンバーにも負けるくらいで、入社後、最も辛い時期でした。

――かなり厳しい状況だったんですね。原因はどこにあったと感じていますか。

今思えば、一番の原因は自分の姿勢だったと思います。「コロナ禍だから仕方ない」と環境のせいにして、逃げていたんですよね。営業のやり方を変えるべきなのに、そこに正面から向き合えていませんでした。数字が上がらないことを外部要因で説明できてしまう時期だったので、余計に甘えていたと思います。

――そこから、どうやって立て直したのでしょうか。

転機になったのは、専務と社長がわざわざ福岡の支店まで来てくださったことです。私の不振を聞いて、営業の勉強会を開いてくれました。専務からはヒアリングの重要性を、社長からは営業のマインドや顧客目線の考え方を教えてもらって、そこで初めて「そういうことか」と腑に落ちました。それまでは、自分が話す営業になっていたんですが、相手の課題をどう引き出すかが抜けていたんです。

ヒアリングの型を繰り返し練習した結果、お客様の課題を引き出せるようになり、少しずつ再現性のある成果が出せるようになりました。感覚から理論へと変わったのが、その時期です。

初年度売上1億円へ。知り合いゼロの広島で学んだ、立ち上げとマネジメントの重さ

※画像はイメージです

――成果が安定してからは、昇格や新たな挑戦も続いたそうですね。

主任になるまでは少し時間がかかり、2年目くらいだったと思います。ただ、そこからは課長代理、課長と段階的に上がっていきました。もともと役員になりたいとずっと言っていたので、主任になれたときはその「第一歩目」として素直にうれしかったです。中でも一番大きかったのは、課長になったタイミングで広島支店の新規立ち上げを任せてもらったことですね。

――新しい支店を立ち上げる経験は、かなり負荷も大きかったのではないでしょうか。

かなり大きかったです。まず、初年度の売上目標が1億円でした。今までどの支店でも達成したことがない目標だったので、正直かなりプレッシャーがかかる状況でした。しかも広島には知り合いも実績もなく、何から始めればいいのかわからない状態でした。また、自分が数字をつくるだけでなく、一緒に立ち上げを担う部下のマネジメントも担う必要がありました。

――そのような厳しい状況の中で、どのような工夫をされましたか。

広島という地域に刺さる話し方を、部下と2人で考え続けました。例えば「広島は人口流出が多いから、岡山から採用する発想もありますよね」といったように、地域事情に合わせた提案を磨いていったのです。

印象に残っているのは、広島で最初に導入してくださったお客様です。「前例がないから」とお断りされることが多い中で、「初めてなら逆に目立てるかもしれない」と前向きに受け取ってくださった。その受注が支店の空気を変えてくれました。

あとは地道なことの積み重ねです。地域の金融機関を開拓して紹介をもらって、商談に行って、また次の接点をつくる。その繰り返しを本当にガムシャラにやっていました。部下とは二人三脚で働く傍ら、一緒にご飯に行ったり、遊びに行ったりして強固な関係を築きました。結果として、部下と二人で、無事1億円の売上目標の達成にこぎつけることができました。

「マネジメントは愛」。高卒初の役員を目指し、会社への恩を次の挑戦で返していく

※画像はイメージです

――現在は次長として、営業とマネジメントを担っているそうですね。今、大切にしている考え方を教えてください。

今は大阪本社と岡山拠点を担当しており、メンバーは自分を含めて9人です。営業とマネジメントは本当に半分ずつくらいですね。売上目標を達成する責任を持ちながら、メンバーそれぞれの目標も一緒に叶えていく立場だと思っています。

大事にしているのは、「マネジメントは愛」という考え方です。役職がほしい人もいれば、賞与を増やしたい人、休みを増やしたい人もいる。求めるものは人によって違うので、相手が何を望んでいるかを理解して、その実現に向けて伴走することを意識しています。

――10年目に入って改めて感じる、ジンジブの魅力を教えてください。

まずは、人の良さですね。ただ、それ以上に感じるのは、上に立つ人ほど一番仕事をして、一番学んでいることです。西日本の統括部長を見ていても、誰よりも行動して、結果にこだわっている。その姿を見ると、「自分のしんどさなんてまだまだ」だと思えますし、成長できる環境だと感じます。

入社してから今まで、会社や先輩には本当に多くのものを与えてもらいました。その実感があるから、ここで長く働いて恩返ししたい気持ちが強いです。

――今後の目標と、高校生へのメッセージをお願いします。

目標は、入社当時から変わらず役員になることです。最初は名刺がかっこいいから、くらいの感覚でしたが、今は意味が変わりました。高卒で初めて役員になって、会社が変わっていく場面に一番近い場所で関わりたいと思っています。その先には、「グループ会社の社長」といった役割にも挑戦してみたいです。

高校生に伝えたいのは、入り口のきっかけは何でもいいから、まず3年は続けてみてほしいということです。3年やれば、仕事の楽しさもしんどさも見えてきますし、実績も出やすくなります。実際に、自分も憧れや勢いから入社しましたが、続けたからこそ見えた景色がありました。生まれ変わってもジンジブに入りたいと思えるくらい好きだと言えるのは、その積み重ねがあったからだと思います。

※画像はイメージです。公開時は、記事に登場する社員の写真に差し替えます。記事の本文は、いまの社員メディアから移しています。

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